西澤ら(2023)はdysarthriaの翻訳用語として「発語運動障害」を提唱しました.この用語に対して本研究会に問い合わせがみられますので,本研究会内での混乱を回避するため,以下,本研究会の見解を示すことと致します.
この翻訳用語には,以下二つの大きな問題があると考えられます.
第一に,dysarthriaを「発語」と翻訳している点です.「一般に声を生成することを発声といい,ことばの音を生成する動作を発語あるいは構音という(日本音声言語医学会,2009)」と定義され,「発語」と「構音」はほぼ同義として扱われてきました.発話が生成される末梢の過程は,①呼吸器系から呼気流が喉頭に供給され喉頭で喉頭原音が生成される発声の過程と,②この音源が声道もしくは構音器官の活動により音声言語音が生成される構音(発語)の過程に分けられます.この二つの過程の運動にかかわる器官を総称して「発声発語器官」といい,この二つの過程にかかわる障害の学問領域を「発声発語障害学」といいます.
すなわち,西澤らの提唱案はこうした発声発語運動における「発語」の側面のみをdysarthriaの訳語に適用し,「発声」の側面を見逃している点に深刻な問題があると考えられます.西澤らはdysarthriaの訳語として構音障害という用語が不適切であるとの見解を示しながら「発語」という用語を用いていますが,「発語」と「構音」がほぼ同義であることを鑑みますと,dysarthriaの訳語として「発語」という用語を用いることが不適切であると思われます.発話と構音もしくは発語を同義に捉える誤解は古くからみられましたが,今回の提唱もこうした誤解の延長線上にあると思われます.
第二に,機能性構音障害や器質性構音障害もまた発語もしくは構音という運動の障害であるため,「発語運動障害」に含まれると解釈されかねず,混乱と誤解を招くという点が指摘されます.
なお,日本ディサースリア臨床研究会では従来どおり「ディサースリア」の名称を統一して用います.この名称が考えられ得る諸案の中で最善であるという見解に何ら変わりはございません.Dysarthriaの用語をめぐって古くから混乱が生じてきましたが,いずれも強引に造語を作ろうとする動きに端を発していると思われます.かつて西尾(1994)が提唱したように,仮名で示すことでこの混乱を解消することができると思われます.仮名で示した医学用語は極めて多く,一般社会に広く浸透しているものが多数あります.こうした事実は,仮名で示すからといって一般社会に認知されないという見解が適切ではないことを立証するものといえましょう.そもそも私どもが属する「リハビリテーション」という仮名が認知されにくい用語であると考える人はいないでしょう.あるいは,つい最近まで「虚弱」と呼ばれていた病態が「フレイル」と呼ばれるようになったのは比較的最近のことですが,今では医療・福祉の領域では広く浸透し,一般社会でもフレイルチェックが全国で行われ,違和感なくこの用語が用いられています.
文献
西澤典子,苅安誠,三枝英人ら,他 : Dysarthriaの翻訳用語について.音声言語医学,64 : 24-32, 2023.
日本音声言語医学会(編) : 新編 声の検査法.医歯薬出版,2009,pp.3.
西尾正輝:Motor speech disordersとDysarthriaをめぐる定義および翻訳用語上の混乱と誤りについて.総合リハ,22:861-865, 1994.