言語聴覚士(ST)を志す学生から,時として受ける質問に以下のようなものがある.
「先生,私はSTとして向いているでしょうか?」
これに対して,私はこう応えることにしている.
「わかりません.私は神さまではありませんから」
本音である.これまでに私が教育指導を行ってSTとなった人は,およそ1000人ほどに及ぶ.その中に,学生時代はとても不勉強でやんちゃ者であっても,数年後には立派なSTとして成長している人たちをみてきた.その逆もまた,少なからず経験してきた.だから,学生時代だけを見て,STとしての適性を判断することは難しいと感じている.
また,学生時代にSTの本当の魅力や厳しさを知ることも難しい.おそらく,学生時代の後半になって経験する実習はSTの魅力に触れる最大の機会の一つとなるであろうが,初心者にとって臨床実習は失敗の連続となることも少なくなく,学生時代における進路上の最大の迷いの場ともなりかねない.
もし,学生本人に強く持続的な進路上の迷いが生じ,客観的に判断できる状況にある場合,私は端的に以下のような指導を行う.
まず第一に,お金を儲けて贅沢な生活を望んだり,高い社会的地位を望むのであれば,STという生き方は向いていないでしょう,と.しかし,障害をもつ人が少しでも幸せな気持ちで生きてゆくのを支援したいという気持ちがあり,それをなしとげるための力量を努力して身に付けたいという気持ちがあるのであれば,STという生き方にあなたは幸せをみつけることができるかもしれません,と.
言い古されてきたことであるが,ことばは人間だけが持つ機能である.それゆえに,STとしてその障害に関わることは人間としての尊厳に関わことであり,非常にやりがいのある専門職であると思っている.しかし,根本的には,「サービス精神」がどの程度備わっているかどうか,に私は着目する.たとえ成績が不良であっても,困っている人を見かけると助けたくなる,そして人に尽くすことに喜びを感じることができれば,そこにリハヒリテーショニストとしての才能を私は感じる.
しかし,それが強い苦痛として感じるのであれば,進路変更は考えて良いかもしれない.ただし,それだからといって,その進路変更を挫折としてとらえることはない.かつて大学を卒業すると同時に,航空整備士を目指して他の学校を再受験した人がいた.調理師を目指して2年次に進路を変更して退学した学生もいた.それぞれ,毎年新年になると年賀状を頂くが,幸せに暮らしている家族の写真がそこにある.
価値観も,幸福感も,人生観も,人それぞれである.さらにいえば,STという生き方もまた,多様である.